top
ソ ク セ キ 跡 地

2015.01.01
 ソクセキは縮小運営中です。
 「月並町の魔法使い」は「小説家になろう」にて更新します。
 更新のお知らせはツイッター(@akutaka)が一番早いですが、創作以外のツイート多めです。



「月並町の魔法使い」を読む。

▼ 跡地で遊ぶ。









ヨウカイモノノケハコノナカ(仮) 第1話 〜汚屋敷に座敷童〜

 雪の降る、大晦日の夜のことだった。近くの神社から聞こえてくる鐘の音をぼんやりと耳に入れながら、こたつでカップの蕎麦をすする夜。静けさに耐えかねてテレビをつけたら、どこも年越しカウントダウンの真っ最中で、あと五秒。ハッピーニューイヤーの幕開けだ。新年は三日までテレビを見ながらごろごろして、四日から仕事始め。変わらない毎日がはじまる。朝起きて出勤して仕事をしてコンビニで夕飯買って十時に家についてテレビを見て、寝る。そういう特別不幸でもなければ幸せでもない平凡な日常が、当たり前にずっと続くのだと思っていた。三十四にしてすでに人生をあきらめた男、函祢仁(はこねじん)。彼のもとにあの箱が届くまでは。
 ピンポーン、という間抜けな音は、ちょうど蕎麦を食べ終わったときに鳴り響いた。日付がまわって少ししたばかりの真夜中である。初詣に行こうと誘いにくる友人も、心当たりはない。出るかどうか迷いながらも、二回目の音で、仁は立ちあがった。このまま無視してしまうのもなんだか気持ちが悪い。音を立てないようにそっと、靴下のまま玄関のたたきを歩く。地面はひやりと冷たかった。古い引き戸の刷りガラスの向こう側には、二つの影。いったい誰だ? 鍵を開けないまま、外の者へと声をかける。
「どちら様で?」
「この近くの稲荷神社の者でございます。新年のお届け物をこちらのお屋敷へお送りするよう主から言付かってまいりました」
 玄関扉越しでもよく通る朗々とした声だ。稲荷神社の主ならば仁もよく知っている。幼少のころから付き合いのある同級生である。
「あいつが贈り物って、なんかあったか?」
 よく知っている幼馴染でも、大人になってからは顔を合わせる機会もなく、ここ十数年は時候の挨拶程度だ。しかも、仁のほうからはなんの返事もしていない。少々気まずい思いで扉を開けると、二人の使いの青年はそろって着物に毛羽織をきっちり着こんで、同じ顔をして立っていた。まだ二十歳そこそこだろうか。それにしても、同じ顔である。これほどそっくりな双子は滅多にお目にかかれまい。二人とも髪の毛をきっちりと撫でつけ、富士額をさらしている。片方がおおきな形の良い口を開いた。
「あけましておめでとうございます。函祢仁様でございますね。こちらの箱をお受け取りくださいませ」
「箱?」
 仁は怪訝に思いながら手を差し出す。大した重さはない。手のひらに乗っかる程度の小さな木の箱だった。ちょうど升のような正方形で、蓋は紐で十字にくくられている。
「中身は何なんです?」
「それは開けてのお楽しみでございます。かならずお家になかに入ってからお開けくださいませ。今年一年がすばらしき年となりますよう……」
 しゃべるのは片方だけだったが、それまで何も言わずむっつりとした顔だったもう片方が、うっすらと口元だけで笑った気がした。仁がなにかを問う前に、二人はそそくさと立ち去ってしまう。不思議な二人組だった。二人が消えた途端、吹きすさぶ雪の冷たさを急に思い出して、仁はそそくさと家のなかへと戻る。玄関をきっちりと閉めて鍵をかけ、冷たい廊下を小走りに歩いてリビングのこたつにもぐり込んだ。
 さて、開けてみるか。朱色の紐をほどき、蓋を持ち上げる。ほんの少し、いい匂いがした。なんの香りだろうかと一瞬首を傾げたが、箱のなかを見た彼はますます首を傾げることになる。
「あれ? からっぽ?」
 ひとり暮らしの家に、自分の声だけが間抜けに響く。完全に独り言のはずだった。
「中身はもう出ちゃったからね。あけましておめでとう」
「!?」
 驚いた仁は文字どおり飛びあがった。こたつから飛び出たものの、その声の主は部屋の戸口をふさぐ場所にいる。ひょろりとした体躯の少年だった。身長は仁よりも低く痩せている。新年だからか着物姿で、肩につく長い髪の毛の上半分だけ紐で結んでちょんまげのようにしてある。その紐は箱を結んであったそれと同じ朱色だった。
「おじさん、驚きすぎて声も出ない? まぁ誰だってそんなもんだろうね。だけど、僕は必要とされてここにきた。しかし予想以上に汚い家だね。大きくて立派な御屋敷なのに、残念すぎるほどの汚さだ。これはもう汚屋敷だね。汚いと書いて汚屋敷。まぁ座りなよ。ああ、本当に足の踏み場もないとはこのことだ。うへぇ、こたつの中にみかんの皮が!」
「お、おまえ何なんだよ!? どうやって入った! 玄関の鍵は閉めたはずだぞ!」
「僕を家に入れてくれたのはあなたじゃないか。まぁね、警戒するのは無理もないよ。僕はそういうことにはすっかり慣れている。いささか飽きているといってもいい。穏便に自己紹介をしたいだけなんだ。このミカン食べていい?」
 返事をする前に、少年はこたつの上のミカンに手を伸ばしている。
「ああダメだ……腐ってる……」
 ひとつ手に取ると、一部分が黒くぐずぐずになった皮を見て心底がっかりした様子で肩をおとした。
「すぐに食べないなら、あたたかい部屋に置いておいたらダメだよ。廊下とか冷えてる場所で保存しないと。ミカンはひとつ腐ると、全部があっという間にダメになっちゃう」
 少年は籠の中のミカンをひとつひとつ勝手にチェックしていく。これもだめ。これも腐ってる。こっちもだ。
「なんなんだよ……」
 仁はすっかり気押されて、ミカンを漁る少年を遠巻きに見ているしかできない。危険な様子はない。だが、不気味だ。お前は誰だ。なぜ家にいる。何が目的だ。ほしいのはお年玉か。そうなのか。新手の恐喝だろうか。新年から不幸な中年を捕まえて、お金をせびろうという魂胆か。最近の若者の考えはわからない。頭をかかえる仁の耳に、能天気な声が届く。
「あ、あった! このミカンはまだ大丈夫だ。よかった」
 少年はうれしそうに無事だったミカンの皮をむきはじめる。
「つまりさ、この家は今、腐ったミカンだらけなんだ。そのうちあなたも腐ってしまうだろう。たぶん、だから僕が選ばれた」
 なにを言っているんだろう。仁は心底うさんくさげに少年を見下ろした。
「僕は座敷童。御稲荷様のお使いでこの家に福をはこびにきた。よろしく、仁」
 うさんくさいどころではない。こいつはマジにヤバイ。
「帰れ!」
 仁は少年の腕を掴むと無理矢理引きずっていこうと引っ張る。だけどなぜか、少年は微動だにしない。まだまだ子供といっていい見た目の少年だ。歳も仁のほうが一回り以上も上だろう。運動不足とはいえ、体格も仁のほうがはるかにいい。それなのに真っ白い細腕はどれほど強く引こうともびくともしない。それどころか少年は平然とミカンを食べている。
「くっそ、なんで!」
「無駄だよ。人間には動かせない。このミカン甘くておいしいね。ほとんど腐らせちゃうなんてもったいなさすぎるよ」
「なんだよ、なんなんだよお前!」
「座敷童」
 少年はマイペースに答える。
「警察に連絡するぞ!」
「してみたらいい。僕の姿は見えないだろうから、新年早々お巡りさんに不審な目で見られるのはあなたのほうだ」
「ハッタリだ!」
 こたつの上にあった携帯電話を掴もうと手を伸ばす。少年のほうがほんの少し早かった。
「本当にやめといたほうがいいんだけどな。いきなり不幸な目に遭わせるのは気の毒だし、信じてもらう手段がないわけじゃない。警察に電話する前に、僕をカメラで撮ってみなよ」
 返された携帯電話は、すでにカメラアプリが起動されている。顔に近づけるとミカンの匂いがした。渋々そのまま構えてシャッターを押す。慌ててピースサインをつくる少年の笑顔はまったく邪気がなかった。どこからどう見てもただの少年だ。だけど、撮ったはずの写真を見てみると、そこに笑顔はなかった。不自然にめくれたこたつと、ミカンの皮。それだけだ。少年の姿はどこにもない。
「嘘だろ……」
「少しは信じる気になった?」
 にこやかに首を傾げる少年が急におそろしいものに思えて、仁は少しずつ後ずさる。つぎの瞬間、耐えきれなくなって駆け出した。戸口に体当たりするようにしてリビングを出て、きしむ廊下を走り、玄関でつっかけに足を突っ込んで、鍵のかかった引き戸をもどかしく開け、雪の降る町へと踊り出るようにして。そのまま逃げ出した。初詣に行くのだろう。深夜でも人がぽつぽつと歩いていた。スウェットの上下に足元は裸足につっかけという寒そうな出で立ちの男が走り抜けて行く様を、人々は奇異な目で見る。仁は視線など気にする余裕もなく一心不乱に走った。
 目当ての神社の前には行列ができていた。小さな稲荷神社だが、ほんの少し屋台も出ている。境内までの石階段は、お参りにきた人々で埋め尽くされていた。その波をかきわけるようにして先に進む。しかし、階段の一番上に辿りついたときには小銭の飛び交う賽銭箱の前は大変な混雑になっていて、とてもではないが行列を割って近づける状況ではなかった。
「おい、設楽田!」
 友人の名前を呼んでみるが、彼の姿が見えたわけではない。おみくじやお守りを売る巫女の姿は賽銭箱の隣に見えるが、こういう日に神主がどこで何をしているのか仁には見当もつかなかった。そして、友人を見つけたからといって仁には何をどうするという明確な目的があったわけではない。ただ、おかしな少年が現れたのは彼が使者に託した箱を開けてからだ。だったら、友人は助けてくれるのではないか。
「函祢様」
 そのとき、声が聞こえた。聞き覚えのある声である。先ほど玄関先で聞いたばかりだ。大勢の人の話し声がざわめく中でも、その声は不思議とよく通る。声の主を探して辺りを見回す。
「こちらです。こちら。そう、斜め右上でございます」
 言われるがままに見あげると、そこには石の台座があった。さらに見上げれば大きく立派な狛犬がある。口を「あ」の形に開けた石の像だ。
「先ほどはお邪魔いたしました。それほど急がれているということは、童が何か粗相をいたしましたかな?」
 また、声が聞こえた。後ろをふりかえってみても、稲荷神社の主の使いだと言って箱を持ってきた青年たちの姿はない。
「どこだ!? 出てこい!」
 声を張り上げたら、近くにいる人が何事かと怪訝な目で見た。
「わたくしどもはすぐおそばにおります。ほら、今あなた様が背を向けている石の狛犬でございます。申し遅れましたが、わたくしは阿形。先ほど共にお訪ねしました対になる片割れが反対側におります。吽形。どうぞお見知りおきを」
 狛犬の目だけが一瞬動いて、仁を見下ろす。そして、あろうことかウインクしてみせた。限界だ。仁はもはや気をたもってはいられなかった。
 意識を手放したのはほんの数秒。冷たい雪の中、抱き起こされた仁はぼんやりとした意識のなか、青年に担がれてどこかへと連れて行かれてしまう。抗う気力もなく身を任せた。もうどうにでもなれ。

 再び意識を取り戻したとき、仁はあたたかな畳敷きの部屋にいた。
「お、目が覚めたか。久しぶりだな、仁。俺のこと覚えてるか?」
 座布団を並べてつくられた簡易ベッドから身をおこすと、目の前には旧友がいる。学生の頃となんら変わらない、きれいな顔立ちの男だった。同じ年だというのに一切老けた様子がない。これはこれで妖怪じみていて不気味だが、思い返せば彼の顔形は幼いころから完成されていた。つまり、小学生のころはすでに大人びている、とやたらと言われたのだ。身長がのびるのも早かったので、中高生に間違えられることも多かった。仁は逆に成長が遅く、高校に入るまでちびっこのままだった。今とて百七十センチそこそこしかない。
「設楽田! 助けてくれ!」
 ほとんどすがるように身を乗り出すと、さすがの旧友も驚きに目を見開く。
「一体どうしたんだ?」
 そこへ、部屋の襖がスッと開いた。
「白湯をお持ちいたしました」
「う、わあ!!」
 仁は飛びあがって設楽田の影に隠れた。情けないことこの上ないが、仕方がない。襖の向こうに膝をそろえていたのは、箱を持ってきたあの青年だったのだ。
「何をそんなに驚いているんだ? 仁」
「わたくしが正体を明かしてしまったからでございますよ。若様」
「設楽田、まさかお前も……」
「悪いが俺にはさっぱり話が飲み込めない」
「お前がこいつ使って俺に変な箱をよこしたんじゃないのか!」
 仁のなかではそうだという確信しかなかったから、シラを切る友人の様子に苛立ちを募らせる。
「箱? それはもしかして、手のひらに余るくらいの真四角な木の箱か?」
「そう、それだよ。箱開けたら空っぽだし、家に変な奴が入ってくるし、座敷童だとか言いだすし、写真撮ったら写ってないし、狛犬はしゃべって動いてるし、俺は一体……」
 神主である設楽田の白装束の袖をつかんだままがっくりと項垂れた仁に一瞥をくれ、設楽田はその秀麗な面立ちに手を当て、少々考えるように間をおいた。
「ということは、今年の年男は仁なのか。そういうことだね、阿形」
「ええ、そのとおりでございます。主に選ばれし男のもとへと、わたくしどもはつい先ほど箱をお送りしたのでございます。座敷童の入った箱を、ね」
 大きな口を開けて、青年はカカカッと笑う。ぞっとするほど歯並びがいい中で犬歯だけがやけに目立っていた。
「座敷童の入った箱? そんなわけわからんもんをお前は――」
「待ってくれ。彼、阿形の言う『主』は俺のことじゃない。彼らの主は神。この神社の御稲荷様なんだよ。奇妙な話だと思うだろう。阿形や吽形はふだんは狛犬の姿をしているが、時々、人の姿を借りて御稲荷様の使いをしているというわけだ」
 至極真面目な顔で設楽田の説明は続く。聞いているほうは、ぽかーんと口を開けている。
「御稲荷様は毎年、年男をお選びになる。どういう基準かはわからないが、御稲荷様に選ばれた者のもとへは箱が届けられる。そのなかにはいわゆる妖怪が入っていて、一年間、その男の家に住みつくんだそうだ」
「……住み、つく……?」
「害はこざいません」
 後ろの狛犬がけろりとした顔で補足する。
「ミカンを食われたぞ!?」
「少々食い意地がはっておりまして」
「座敷童はミカンを食べるのか!」
 三者三様に好き勝手なことを言うので、ずれた話を軌道修正するように、咳ばらいが聞こえた。今まで一言も発していないので仁は気付かなかったが、襖の影にはもう一人の青年、吽形がいた。阿形と姿かたちは同じでも、こちらは口を一切開かない。
「ああ、そうだな、吽形」
 阿形とは口をきかなくとも意思疎通ができるようだ。
「函祢様。年男のもとへ届けられる箱の中身は、毎年同じものではございません。一口に妖怪といいましても様々。古今東西津々浦々を渡り歩き、御稲荷様自らふさわしいと思われる妖怪を年男のために選ぶのでございます。さすれば座敷童は函祢様のために選ばれし妖怪。きっと、今年は良いことがございましょう」
「いやもうしょっぱなから最悪なんだが」
「そういえば仁は昔から幽霊とか怪奇現象とか大嫌いだったもんな。小学校のときにキャンプで肝試ししたときのこと覚えてる?」
「やめろっ! そんな昔のこと持ち出すな!!」
 慌てて止めに入らなければならないほど、仁にとっては嫌な思い出である。この男はわりと本気でそういう類の話が嫌いで、怖いのだった。大人になった今でも、ホラーは全力で回避する。
「でも、幽霊と妖怪は違うよ」
「ええ、若様のおっしゃるとおり。あのような者たちといっしょにされてはわたくしどもといたしましても遺憾でございますな」
「どっちも存在すること前提で話さないでくれますか!?」
 思わず前のめりになる仁に対峙する狛犬は、再びカッと大きな口を開いた。
「存在いたしますよ。それは事実。目に見えぬものを信じないのならばまだしも、こうしてわたくしどもを目の前にしていながらそれでもなお目をそらすとは、いささか賢いとは言えませぬな。主も今年は選ぶ男を間違えたやもしれませぬ」
 となりでもの言わぬ相方がウンとひとつ頷くのが見えた。妙に凄みのある口調に、仁は後ずさる。
「仁、悪いことは何もないから、とりあえず家に帰ってごらんよ。座敷童は本当に人に悪さをするような妖怪ではないし、むしろ家に幸せを運んでくると言われているんだ。少し悪戯はするかもしれないけどね」
「無理だ。妖怪ってだけでありえない」
「だったら一風変わった同居人だと思って」
「俺がこの歳にもなってなんで男やもめだと思う? 俺は誰とも暮らすつもりはないし子供を養う気もない! 頼む! 後生だから、一緒に俺の家にきてあいつが出て行くように説得してくれ」
 このとおり!と畳に額をつける友人の姿に、設楽田は困惑する。後ろの狛犬も顔を見合わせ、「ここまで嫌がる年男もめずらしい」などと首を傾げている。
「確かに座敷童は少々強引で気まぐれで生意気なところがございます。姿を現わせば面倒になるから、とひっそりと家の隅で一年をすごす者も多い中で、いきなり姿を見せて混乱させるやり方はあまり褒められたものではございませんな」
「そうだろう? だからあいつを俺の家から連れて帰ってくれ。福とか幸せとかそんなもんはいいから! 年男の権利はほかの誰かにくれてやってくれないか」
「そのあたりは主が決めることでございますから、わたくしどもに言われましても……」
「だったらどうすりゃいいんだよ! お揚げでも持ってくりゃいいのか? 賽銭か?」
 自棄になる仁に対し、設楽田は落ち着きはらった様子であらためて膝をそろえた。
「仁。俺も神に仕える身。神のご意向に逆らうわけにはいかない。ここは大人しく家に帰って座敷童としばらく暮らしてくれないか? もちろん、相談にはいつでも乗る。ひとりで帰れないというなら、阿形をつき添いにつけよう」
「嫌だよ、来るならお前が!」
「それは無理だ。今日は元旦なんだ。わかっていると思うが、神社はクソ忙しい」
 設楽田の口調がそこだけ乱暴なものになる。そうだった。この友人はクソ忙しい元旦に、境内で倒れた仁を室内に運び入れ、介抱し、こうして話を聞いてくれているのだ。今なお参拝客はひっきりなしに訪れている中で。それに気づくと、自分が駄々をこねて迷惑をかけているだけの子供のように思えてしまう。
「……わかった。ひとりで帰る。忙しいときに悪かった。頑張れよ」
「近いうちに顔を出すよ」
 その言葉だけを心の支えに、仁は立ちあがる。二人の狛犬に案内されて神社の外に出た。一度だけ振りかえると、狛犬はきちんと二体とも石の台座の上に座っていた。自分が見たり聞いたりしたものが果たして本当に現実だったのか、自信がなくなってくる。とぼとぼとつっかけに雪をまとわりつかせながら帰路につく。はだしの足が真っ赤になって、今にも凍傷になりそうだ。だけど、玄関に辿りついてもなお、仁はなかなか家のなかに入ろうとはしなかった。  意を決して取っ手に手をかける。さあ、と引こうとしたが、なぜか玄関には鍵がかかっていた。おかしい。鍵はかけずに出たはずだ。というかそんな余裕がなかった。ガタガタと揺らしてみるが、錠はしっかりとかかっていて、扉のあく気配はない。
「うそだろ!?」
 何度か扉をドンドン叩いて「開けろ」と叫んでいたら、急に、引き戸ががらりと開いた。中には自称座敷童の少年がいる。
「鍵もかけずに出るなんて不用心じゃないか! 僕がいたからいいものの。しかもそんな薄着で馬鹿じゃないの!? 風邪ひいたらどうすんだよ。ほら、早く入って! 足、雪まみれじゃないか。ほら、タオルでふいて。そのまま温めたら霜焼けになるよ。タオルでこすって、こうやって、徐々に血行をよくしておかないと」
いつの間にか仁を玄関の上がり框に座らせ、少年はかいがいしく世話を焼く。長い前髪から覗く顔は、わりと本気で心配していたようで、安堵したのかうっすらと目尻がうるんでいた。しかし口が悪いのは変わらない。仁の足を一生懸命タオルでこすってやりながら、顔をあげないようにしているようだった。
「あ、ありが、とう……」
「しっかりしてくれないと困るんだよ。僕がいったい何のためにここに来たと思ってんの? ちゃんと御稲荷様にふさわしい男になってくれないと」
「へ?」
 はっという感じで少年が急に口を噤んだのが、仁にもわかった。
「待って、お前、家に福を運んでくるんじゃなかったの?」
「しまったな。うっかり口が滑った」
 しまったという割には深刻そうな様子はない。
「まぁ大体そういうことだよ。僕の使命はこの家に福を運んでくること。だから、まずは汚屋敷をきれいにするんだ! お正月だからって寝てはいられないよ」
 びしっと鼻先につきつけられた指先を、仁は呆けた顔で見ていた。なにが害はないって? 座敷童ってこういうものなのか? 御稲荷様にふさわしい男って? 混乱を余所に、函祢仁と座敷童の奇妙な汚屋敷生活はここから始まる。
 不可思議で奇妙な、波乱の年の幕開けである。

続く